ここは鎮守府。100を超える艦娘たちが暮らす、兵舎のようなところ。中は多くの部屋に分けられ、大抵は睦月型や初春型など、型式ごとに割り振られていた。
ただ、その中でも睦月型九番艦の菊月はずば抜けて数が多く、菊月専用の部屋、その名も『菊月部屋』と呼ばれる部屋があった。
「では、行ってくるぞ、キィ」
「武運を。イベ」
あまりにも多い菊月を呼び分けるために、あだ名が一人ひとりに付いているのだが、それはともかくとして、一人だけ体格、というか年齢がおかしい菊月がいた。周りは中学生ほどだというのに、その菊月だけは普通の女性の成人よりも一回り大きい。
「キク、足がしびれてこないか?」
先ほどイベと呼ばれた菊月を送り出したキィは、その大きな菊月、キクに膝枕をしてもらっていた。その左薬指には指輪が光り、提督の特別な存在であることと、非常に高い練度の証となっている。
「いや、これくらいのこと……轟沈に比べれば……っ」キクはガクガク震え、特注の制服を大きく押し上げている、豊満に育った胸がプルプル揺れている。
「つらそうだな。もう四時間はこの状態なのだから仕方ないが……」キィはそう言いつつも動かず、キクの太ももに顔を埋め、気持ち良さそうにこすりつける。
「な、なら、そろそろ……」
「却下だ。私に尽くすのは、司令官の命令でもあるからな」
キクの懇願を一刀両断すると、キィはスリスリと顔をこするのを続けた。あと一時間はこれが続きそうだったが、ドアがノックされる音でキィがすっくと立ち上がり、キクは正座の地獄から解放された。
「入っていいぞ」と、ドアに向かって歩きながらキィが許可を出す。
すると、「あ、キィちゃん、あのね」と入ってきたのは、茶髪をポニーテールにまとめた、睦月型7番艦の文月だった。「司令官さんが呼んでたよ。キクちゃんも一緒に来てって言ってたぁ」
「了解した」と、キィはうなずいた。「ほら、キク、行くぞ」
キクは、まだしびれが取れない足をさすりながら、「ま、待ってくれ、う、ううっ……」と呻いたがキィはさっさと出て行ってしまった。
キクはその後1分くらいかかってやっと部屋を出られたが、外には文月がちょこんと立っていた。
キクがつらそうな顔をしていたのを見て「キクちゃん、大変だね」と文月は心配そうだ。
「なに、こんなこと……ところで、なぜ文月は私を待っていたのだ?」
「えっと……自己紹介、まだしてなかったよね?」
首を傾げながら尋ねてくる7番艦に、幼さとあどけなさを感じるキクだった。
「ああ、そうだったな。睦月型9番艦の、菊月だ。昨日付けで、この艦隊に配属になった。よろしく頼むぞ」とゆっくり頭を下げるキク。
「7番艦の文月だよ〜。フミフミって呼ばれることもあるよ」とペコッとお辞儀する文月。「よろしく〜!ねえねえキクちゃん〜」
文月は、後ろに手を組んでキクに尋ねてきた。キクは、文月の好奇心いっぱいの目線に少したじろいだ。
「キクちゃんって、『やせん』、したことある?」
キクは、深海棲艦の魔の手から救われたばかりで、夜戦どころか敵との遭遇すらしたことない。そんなキクには、この質問に対する答えは明らかだった。
「いや、したことはないな」
「そうなんだ。わたし、司令官と『やせん』すると、すごいんだよ!」
「司令官と?」
「そうだよ〜!」
その時、キクの脳裏に、一日前のハプニングがよぎった。キクは体が大きくなったはずみで、キィを押し倒し、あらぬことをしてしまったのだ。そして、目の前の文月は「司令官と『夜戦』」すると、「すごい」と言っている。キクは、この『やせん』と、キィに対して行った行為が同一であるものではないかと疑った。同時に、文月を襲う司令官、いや、司令官を襲う文月を想像してしまった。かわいらしい見た目に反して、鍛え抜かれたテクニックで司令官を押し倒し、要所を手際よく攻めていく文月。
「キクちゃん?どうしたの?」
文月がいつの間にか近くにより、キクの目を覗き込んでいた。キクは心臓が飛び出るかと思うほど驚き、大声を出してしまった。
「ふ、ふみっ!そ、そろそろ行かないと、司令官とキィに叱責されてしまうから、ま、またな!」
逃げ出すようにその場を後にしたキクを、不思議そうな表情で見送る文月だった。
ーーー
「ま、待たせた!」と、キクが司令室に飛び込むと、キィが顔をニヤニヤさせた。
「お、やっと来たか。えー、キクキクでよかったか」と言ったのは、士官の制服に見を包んだ男、間違いなく司令官であった。
「その通りだ……司令官、どこを見ているんだ?私の顔はこちらだ」明らかに司令官の目線はキクの顔の少ししたに向いていた。黒い制服を大きく押し上げる膨らみに、完全に目を奪われていた。「……」しかも、呼びかけには答えずジーッと見つめている。
「コホンッ!」とキィが咳払いをすると、ようやく司令官は反応を見せた。
「ああ、すまない、すまない。しかし、かなり立派な育ち方をしたものだな」司令官はこころなしか興奮しているようで、息が乱れている。
「……任務でないなら、部屋に戻るぞ」キクは呆れてしまい、多少の苛立ちを顕わにした。
「ああっ!私が悪かった!……実はあの杏仁豆腐は戦艦になりたがっていた駆逐艦に渡そうと思っていたものだったのだが……予想以上の効果があったようだ……」キクが司令官に背を向け、出ていこうとしてしまい、司令官はかなり取り乱した。「あっ!ちょっと待って!話を最後まで聞きたまえ!あの杏仁豆腐のおかげで、君は戦艦級の装備を艤装できるようになった。だが、練度は最低、戦果を出すことは難しい」
「……なるほど」
「そう、そこでだ。キクにはキィ、睦月、如月、三日月で編成される臨時第一艦隊で、敵潜水艦を相手に実戦経験を積んで欲しい」
「せ、潜水艦……」今のキクは体が大きくなった分、巡洋艦クラスまでは装備できる魚雷が、逆に積めなくなっていた。つまり単艦では完全に無防備で、潜水艦を相手にするなどもってのほかだ。
「心配するな。キィは練度が高いから雷撃を外すことはないし、その他の三人も信頼に足る駆逐艦だ。キクは敵の状況を確認し、指令を出す練習をしてくれればいい」
キクは不安を感じながらもキィの落ち着いた顔を見て了承した。
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「どう、きくちゃん?大和さんからもらった艤装は準備万全?」出撃後、如月がキクに尋ねる。特大サイズの艤装は、全て合わせれば今のキクとくらべても大きい。それをキクは、苦労しながらも操っていた。
「それにしても新人ちゃんおっきいのね!浜風ちゃんとかよりもおっきいんじゃないかにゃぁ?」睦月は、(杏仁豆腐を食べた睦月とは違うもう一人の方だ)ぷるんぷるんと揺れているキクの胸を凝視しながらはしゃいでいる。如月は「やだもう睦月ちゃんたら……」と多少嫌そうな表情を見せた。だが、如月も少し気になるようで、チラチラと胸の盛り上がりを見ている。
キクはその視線から逃げるようにキィの方を見ると、キィは遠くの方を凝視している。海風で後ろに流れる白い髪と凛々しい表情は、昨日見た弱々しいキィとは大違いだったが、キクはつい見とれてしまうのだった。キィもその視線に気づいたのか、一瞬キクの方に目を向けたが、少し口元をゆるめただけで、すぐに索敵にもどった。
「およ?三日月ちゃんどうしたのです?緊張しちゃってる?」
睦月の声に、キクは三日月を見た。三日月は下を向いたままで、ほとんどその黒い髪とセーラーしか見えない。「だ、大丈夫です」という声も細く、震えている。キクは気にかかったものの、練度は高い駆逐艦ということで、気にしないことにした。
「……見えた。十時の方向に、敵潜水艦」
キィの静かだがよく通る声とともに、戦闘が始まった。