校舎日和

『さあ、猫松さん、一緒に食べましょう』
「そ、そう……じゃな……」

ねこますの眼下には、鉄筋コンクリート製の学校校舎があった。その一部は、隣にいたのらきゃっとに食べられている。

(なんで、こんなことになったのじゃ……?)

この話は、二人がこの世界で『起きた』ときから始まる。

『猫松さん、猫松さん』
「あっ、はいれた……」

ねこます、通称バーチャルのじゃロリ狐娘YouTuberおじさん、略してのじゃおじ、と呼ばれる彼女は、中学生くらいの背丈の巫女服姿の金髪狐耳の少女だ。ただし……

「のらちゃんお久しぶりー」

その口から発せられる声はアラサー男性そのもの。この世界の特異性として、姿と声が合わないのは普通のことなのだ。

『お久しぶりです、猫松さん』

それに対して答えるのは、のらきゃっと。戦闘用アンドロイドの銀髪美少女だ。ゴシック調で、紫がかった黒の服は、大きく胸が押し上げられ、その後ろからはネオンのように赤く光るしっぽが飛び出ている。頭の上から生えている猫耳は、放熱板のようなフィンが埋め込まれた機械のようなものだ。

「あ、あっ……やっぱり、のらちゃんを近くで見ると……あはは……」

ねこますは、背丈が低い彼女の方にかがみ込んでいた、のらきゃっとの頭をなでた。

『猫町さんも、かわいいですよ』

のらきゃっとの方は、少し焦点が合わなくなっているねこますの頬を撫でた。

「ああぁぁ……これ、すげ……触感までちゃんと分かる……のらちゃんの香りまで……ほんとに」

我を失いかけたねこますの唇は、色白の指にピッと押さえられた。

『猫松さん、ちゃんとバーチャル、バーチャル見て』
「あ、すみません……のじゃ。ねずみさんから紹介してもらった試験用VRシステム、こんなにすごいと思わなかった……のじゃ」

ねこますはぺこりと謝った。

『まあ、私のご認識さんまで再現しなくても良かったと思うんですが』

「ご認識さん」は簡単に言えば、のらきゃっとに内蔵された言い間違いを一定の法則で起こすシステムのようなものだ。このせいで、彼女はねこますのことを「猫松さん」と呼ぶしかなかったり、一般的でない言葉を言うのは難しかったりする。

「そうじゃよね……。でも、のらちゃんはそれも合わせてのらちゃんだから、それでいいのじゃ」
『それもそうですね。じゃあ、このワールドを回ってみましょうか。何か、大きな街のようですね』

二人の周りには、大きな広場が広がっている。ブティックや喫茶店がならぶ、ヨーロッパ風のおしゃれな空間だ。ねこますは、その店の一つに、カラフルなスイーツが並べられているのに気づいて、近づいていった。

「あ、マカロン……たくさん積まれてるのじゃ……」
『マカロンですか。入ってみましょう』

洋風のお菓子が並んだ店に足を踏み入れる二人。焼き菓子の甘い香りがただよっている。

「本当に甘い香りがするのじゃ……」
『新体幹……新体験……ですね。香りを、この世界で感じられるのは』

のらきゃっとは、棚からクッキーを取り上げ、口に入れた。

『甘い、甘いですね』
「本当に甘そうなクッキーですよね」
『猫松さん、こっち来て』
「のじゃ?」

誘われるがままに、ねこますはのらきゃっとの側によった。その口に、クッキーが突っ込まれる。

「うおっ!!って、甘い……」
『味までするのは、びっくりです』

クッキーを噛み砕く感触まですることに、驚きを隠せない。そんなねこますに、ポッキーが差し出された。

『今なら、ちゃんとしたポッキーゲームができますよ』

銀髪美少女が、目を細め、妖艶な表情でねこますを誘っていた。思わず飛び退いてしまう狐耳。

「そ、そんな……、俺、恥ずかしくって……!」
『冗談、冗談ですよ』

のらきゃっとは、差し出したポッキーをニコニコと食べてしまった。

「ふぅ……か、カウンターでは、何が売ってるのじゃ?」
『村ショット……村ショップ……』

ここに来て「ご認識さん」が発動するが、彼女が言いたいのは……

『ノラ ショット。そうです、そうです』
「そうです、そうです!……で、のらショットって、あの紅茶とエネルギードリンクを混ぜて作るアレ、ですよね」
『そう。校舎と、ですね。……紅茶』
「いまは、遠慮しておくのじゃ……」

二人は、店から出た。その後も、服を着せ替えてみたり、髪型をいじってみたり、飾りをつけてみたりと、二人でいろいろな体験をしていった。このどれもが、他の世界では体験しづらいことなのだが。

「この世界って、不思議じゃな……」
『楽しくて、いいじゃないですか。あっ』

そこで、のらきゃっとの体が、服ごと少し大きくなった。

「おっ、どうしたんですか!?」
『なんか、面白い機能があるようですね』

また、彼女の体が大きくなり、一軒家くらいまで巨大化した。

「おおー、大きいのらちゃんだ」
『かわいい猫松さん』

その大きな手、いや、指で、ねこますの頭を撫でる。

『そうだ、猫松さん。一緒に、校舎でも頂きませんか』
「紅茶、ですよね?」

のらきゃっとは、また目を細めてねこますを誘った。

『校舎、です。校舎。すぐそこに、学校があるんです』
「え、ええっ!?」
『行きましょう』

ゆっくりと歩いて行ってしまうのらきゃっと。といっても大きくなった体だとねこますが走らなければならないくらい速い移動だったが。

『着きましたよ、って、猫松さん?』
「は、速すぎるのじゃ……」