「ここまでくれば、大丈夫だろう…」
「あ、ありがと…」
息を切らした青年と美優がいるのは、小さなマンションの一室だった。研究所から下水道を使って脱出し、外に停めてあった車で逃走してきたのだった。
「だけど、白馬の王子様が軽自動車じゃ格好つかないよね…」
「余計なお世話だ」
意地悪に笑うのをキッと睨む青年だが、美優は動じなかった。
「でも、本当にありがとう」
「ふん、もう少しで存在を抹消されて一生実験台になるところだったんだ。感謝しろよ」
「そんざいを…ましょう?」
「死んだことにされてたってことだよ!ったく、いい体つきして頭は付いてきてないんだな」
目に疑問符が浮かんだ美優に青年は呆れ返った。美優は男物のジャージを羽織ってはいるが、その萎縮しきっていないFカップの胸は服を大きく押し上げている。
「し、死んだことに?」
「そうだよ、お前は交通事故にでもあって、遺体が無残なことになってるから遺族には渡せないとかいってな」
「え…」
絶句する美優。青年はそれを見て哀れむようにいった。
「夜が明けたら、家族に通知が行くはずだ。おおむね、捜索願やらなんやら提出してるはずだから、すぐに身元は知れる。警察もグルだからな」
「じゃあ、夜までに戻らないと!」
「その体でか。抗体もないんだぞ」
「あ…」
美優の体はかなり元に戻ったものの、完全では無かった。しかし美優には心当たりがあった。実験室にいる間に頭の中に流れてきた謎の声だ。とは言っても、幻聴かもしれないその事実を青年に伝える気にはなれなかった。
「これからどうするか…あそこから連れ出したのはいいが…」
思案している青年を前に、美優は躊躇する。言い出そうとするが、二の足を踏んでしまう。その時だった。
〈フエル…フエル…〉
「えっ…ううっ!」
ドクンッ!
また美優の頭の中に声が響き、衝撃が走ったのだった。
「どうした!…お前、まさか…!」
「また…っ!大きくなっちゃうう!!」
驚きつつ、顔をしかめる青年の前で、ジャージを押し上げている胸がドンッと外に広がり、ジャージがギチッと音を立てた。
〈フエル…〉
「増えないで!っっ!!」
「何言ってんだ!?」
ジャージのズボンの先から、スス…と足が伸び、同時にズボンがパンパンに張る。青年はそのことよりも、美優の言葉が気になっているようだった。
〈フエナイ…ムリ〉
「そんなこと…ぐっ…言わないでぇ!」
「…まるで、こいつの中に何かがいるような…?ウィルスに話しかけてるってのか!?」
無理に張力を掛けられたジッパーがブチブチと壊れていき、ミチッと詰まった胸肉が垣間見えはじめた。
〈ソレナラ…ソイツ…ウツル…〉
「この人に移る…!?男の人だよ!?」
「は!?」
そのとき、部屋の扉がバァン!と破られた。
「警察だ!女児誘拐現行犯で逮捕する!」
「ちっ…」
美優は、ほぼ反射的に入ってきた警官に手を向けた。
「この人たちに、移って!!」
〈…ワカッタ〉
すると、実験室で起きたことと同じことが起きた。美優の掌に穴が空き、そこから液体が吹き出して、警官を飲み込んだのだ。
「なっ!?や、やめろ…っ!!?」
その先で、警官の声が徐々に音階を上げて行った。男の声が、子供の声になっているのだ。美優の体が萎み、完全に元に戻ったところで、液体は出るのをやめた。
「何が起こって…!」
青年は口を開けたまま顔が固まった。それもそのはず、押し入ってきていた警官は全員、いなくなっていたのだ。いや、服の中に埋れて見えなくなったと言った方が正しいだろう。
「む、むだなていこうはやめろお!」
舌足らずな幼い声が制服から聞こえた。その制服はモゾモゾ動くと、中にいる人の姿を外にさらした。
「お、おい…何だよこれ…!」
それは、幼い子供、しかも股には付くべきものが付いていない、小さな女児だった。
「あたしが…やったの?」
「そうとしか言えないだろ!とりあえずずらかるぞ!」
青年はジャージがブカブカになった美優の手を引っ張った。美優は素直に従い、部屋から夜の街に駆け出した。
「あ、ま、まて!」
元警官の高い声を、美優は聞かなかったことにした。
青年に連れられて到着したのは、美優の家だった。
「俺はまだ逃げなきゃならんが、お前には当分誰も手出しできないはずだ。それに、まだ訳がわからないにしろ、見えない味方もいるみたいだしな」
「味方…かな…」
「…。まあ、またすぐに会うはずだ。今は、家族を安心させてやれ。じゃあな!」
そう言って、青年は美優を引っ張っていたときよりもずっと速く走りだし、すぐに美優の視界からいなくなってしまった。
「大丈夫…かな…ううん、大丈夫なはず!」
美優は不安を振り切るように大声を出した。すると家から母親が飛び出してきた。
「美優、美優なの!?どこに行ってたの!」
「お母さん!ごめんなさい…」
美優は覚悟した。こんなに遅くまで帰らなかったことは無かった。どんな叱責でも、美優は受け入れるつもりだった。そんな美優に与えられたのは、抱擁だった。
「心配、したんだから…」
「お母さん…ヒクッ…お母さぁん!怖かったよ…!!」
その優しさで、これまで美優を襲った恐怖が全て思い出され、号泣してしまう。母の愛に、全てを託したかった。
「私だって怖かったのよ…でも、帰ってきてくれて本当に安心したわ…」
美優は母親に抱きつき、長い間泣き続けた。