「どういうことなんだろ…」
「そんなこと今はどうでもいい!さっさとお薬飲まないとまた大きくなっちゃうよ!」
美優と結子の二人は美優の家へと急ぎ足で向かっていた。結子の体調不良ということにして、学校を早退したのだった。
「ね、美優ちゃん」
「何?」
胸をゆっさゆっさと揺らしながら、美優に一生懸命ついていく結子が聞いた。
「さっきから行ってるお薬って、何のことなの?美優ちゃんは、自然に元に戻ったんじゃないの?」
「あ…」
正体のわからない青年に助けられたことを、なかったことにしていた美優の矛盾に、結子が気づいたのだった。美優は立ち止まって、申し訳ない気持ちで答える。
「あのね、そのことなんだけど」
「うん」
「あたしがね、うちの中でもっと大きくなってる時に、ある人が入ってきたんだ」
「え…」
結子は少し青ざめた。よく考えなくても不法侵入である。美優はそれを認めながらも、続ける。
「それでね、その人が言ってたんだけど、私が大きくなってたのは変なウィルスのせいだって」
「ウィルス!?」
「うん、それで、たいさいぼう……に、ぎ…ぎ…なんだっけ、そう、擬態して…せ…」
美優の中で青年が口にした「セックスアピール」という言葉がとても卑猥なものに思えて、なかなか次を話すことができない。驚きが弱まって、美優の真っ赤になった顔を見かねた結子が助け舟を出した。
「それで、体が大きくなっちゃうんだね」
「う……そうなんだって」
「それで、そのウィルスの抗体か何かをもらったんだね」
「そう、そうなの!こうたい!」
結子は首を傾げた。
「でも、本当にそんなウィルス、あるの?もしそうだとしたら、私だけじゃなくて他の人にも感染してるはずじゃない?」
「うーん、その人は『俺のウィルス』って言ってた気がする…」
「その人の?」
「でも本当はそうじゃないとも言ってた」
「複雑な話…なんだね」
「うん、ふくざつ。じゃなくて、さっさと帰らないと!」
二人は再び歩き始め、抗体がある家へと向かって行った。
—
玄関につくと、扉には鍵がかかっていた。
「ちょっと待ってね」
「ね…美優…ちゃん…」
「何?あっ」
美優が見ると、結子の顔をだらだらと汗が流れている。
「体が…熱くなって…きちゃった…」
変身が始まろうとしていた。
「結子!…くっ」
美優は鍵を思いっきり差し込み、錠が壊れるほど勢い良く回した。
「待っててね!」
美優は朝食を食べた時、白衣を受け取り、自分の部屋に置いていた。それを取りに行くために、全速力で家の中を駆け抜けた。部屋に着くと、白衣のポケットをまさぐる。中の小瓶の一つを取り出すと、他の瓶がポケットからこぼれ落ち、割れてしまった。だが今の美優にそれを気にしている余裕はなかった。結子は死ぬことはないが、成長の苦しみを味わわせたくなかったのだ。
「よし、これで!」
玄関に掛け戻ると、美優が苦しそうに胸を押さえていた。その胸はまるで生きているようにムギュムギュと形をゆがませ始めていた。
「結子!これ飲んで!」
「み…ゆ…!うん」
美優は、薬を注いで欲しいと言っているように開けられた結子の口に、グイッと小瓶の中身を入れた。その瞬間、結子はむせ混んだ。
「あ、あついい!!」
いつもはおとなしい結子の口から信じられないほど大きな声が出て、美優は狼狽してしまった。それをよそに、結子の体からこれもまた信じられない量の汗が吹き出て、服がびしょ濡れになって行く。
「これで、これで大丈夫だから…ね!」
「う、うううっ!!」
そして、結子の体は美優がそうなったように、一回り縮んで、元に戻った。
「ふぅ…ふぅ…」
「結子!」
「美優…ちゃん…、ありがと…」
「すごい汗だよ、うちのお風呂で流した方がいいよ」
「うん…そうする」
美優は結子を招き入れた。結子が服を脱ぎ、シャワーを浴びている間、美優はその服を洗おうとした。
「ん…あれ?」
しかしその服はすでに乾いていて、汗でよれている様子すらなかった。
「おっかしいな…」
美優は、それで洗うのをやめた。そして、20分もすると、結子が風呂場から出てきた。
「ふぅー、まだお昼なのに疲れちゃったわ。まるで、私の体が私のものじゃなかったみたいな、変な感じだったの」
「うん、あたしもそんなだった…いつもよりもずっと背が高くて、見える世界も全然違ったもん」
「ふーん。そうだよね、美優ちゃんは私よりすごく大きくなってたから…あれ?」
「あ、その服」
結子も、美優と同じ違和感を感じたようだ。
「さっきまで…びしょ濡れだったのに…」
「うん、変だよね」
「まさか…!!」
「えっ?」
結子が頭を抱えた。
「ねえ、私たちが大きくなったのって、ウィルスのせいだって言ってたよね」
「うん」
「ウィルスって、すごく感染性が高いんだけど、何かを媒介しないと他の人にはうつらないんだよ」
「かんせんせい…?ばいかい…?」
語彙がいまひとつ足りない美優の顔に疑問符が浮かび上がる。結子は一回ため息をついて、言い直した。
「つまり、一回体の中に入ったらウィルスの症状が出ちゃうんだけど…症状、くらいわかるよね」
「バカにしないでよ!いくらあたしでも分かるって!」
「なら良かった。でもね、体の中にあるものが、人間の体同士を移動するのには、一度体の外にでないといけないでしょ?」
「うん」
美優がコクコクとうなずくのを見て、結子が続けた。
「その時にね、たとえば乾いた空気だけあればいいのとか…」
「え、それって普通じゃないの?」
「…ううん、そうじゃないみたい。それに、もしそうだったらこのウィルスで周りみんなが大きくなってるはずでしょ?私だけじゃなくて」
「あ、そうか」
「とにかく、このウィルス、この汗を通って感染するものじゃないかな、て思ったんだよ」
「ほー…」
イマイチ合点がいかない美優だが、結子は話し続けた。
「私、美優ちゃんが教室で大きくなった時に汗に触ったでしょ」
「そうだっけ」
「その時に感染したんだよ、多分」
「じゃあ、もう大丈夫だよね、二人とも飲んだもん。こうたい…だっけ」
「そう、抗体。だから大丈…夫…」
結子の声がだんだん小さくなる。
「どしたの…?」
「ううん、嫌な予感がしただけ。多分、気のせい。ふぅ、私、もう帰るね。ちょっと疲れすぎちゃった」
「あ、お菓子食べてかないの?」
「いいよ…それに、美優ちゃんは学校に戻りなさい」
「えー」
むーっと頬を膨らませる美優を見て、結子は呆れた顔をした。
「子供じゃないんだよ、それに美優ちゃんは成績危ないんだから」
「わかったよう」
結局その日は結子は戻ってこなかったが、それより他はいつもの平和な日常だった。
—
「あ、結子、おはよー」
「おはよう」
次の日には結子は普通の生活に戻ったようだった。しかしその表情は少し曇っているように、美優には見えた。
「大丈夫?」
「うん、もう平気」
結子が笑顔になったことで、美優はそれ以上気にかけないことにした。しかし、昼休みが始まると、やはり結子は不安そうな表情をしている。
「ねえ、本当になんもないの?」
「うーん…実は」
「え、何?」
その時、叫びが聞こえてきた。
「う、うわ、うわああああ!!な、なんなんだよこれええ!!!」
トイレから聞こえるらしい声は最初伍樹のもののように聞こえたが、次第に高くなって行った。
「俺の、俺の体がああ!!」
そして、最後には幼い、小さな女の子が叫んでいるようになった。結子は顔を手で覆って、つぶやいた。
「やっぱり…」
「え、どういうことなの結子!」
その疑問に答えるように、バタバタと誰かが教室に駆け込んできた。
「み、みんな!!」
その誰かは先ほどの叫び声の主のようだ。幼稚園児ほどの女児がサイズが合わないYシャツだけを羽織って、教壇の上で仁王立ちになっていた。
「お、俺の体が、小さくなっちまった!!」
教室がざわめく。クラスの誰もが、突然の小さい女の子の登場に当惑していた。その子は、美優を見つけると、走ってきた。
「ね、ねえ美優ちゃん!!俺、伍樹だよ!」
その可愛らしい顔に見合わない男口調で、美優に向かって叫ぶように喋るその子。だが、美優の方は状況が飲み込めない。
「え、え?」
「だから、俺は伍樹なんだって!」
「こんな小さな子が伍樹くんのはずが…」
「美優ちゃん」
結子が口を挟んだ。
「この子、伍樹君だよ。間違いなく」
「え、何言ってるの結子、そんなわけ…」
「分かってくれるのか!?…ゆ、結子ちゃん?」
伍樹と名乗る小さな子が顔を輝かせて結子の方に抱きつく。
「い、伍樹君…」
「俺、どうしちゃったんだよ!どうして体が小さく!それに髪は長くなってるし!小便してたらどんどん体の中身が抜けてくように、小さくなったんだ!」
さも結子を責めるように騒ぎ立てる少女。
「…あのね、ちょっと長いお話になるんだけど、いい?」
「あ、ああ。俺がどうなってるか分かるなら何でもいい!」
「あと、美優ちゃんも覚悟して聞いてね」
「え?う、うん…」
—
「あれが、ウィルスの仕業で、結子ちゃんの汗を触ったから観戦したと…?」
ここ2日の経緯を聞いて、信じられないという風に伍樹が発言する。
「私も正直信じられなかったけど、実際私も美優ちゃんも、その人からもらった抗体で元に戻ったの。ね、美優ちゃん」
「え、うん…」
説明をほとんど結子に任せていた美優は、一瞬遅れて反応した。
「でも、その人もこのウィルスがどういうものか分かってなかったみたい」
「え、それは初耳だよ」
「なんか、人づてに聞いたような話し方、してた気がする」
「気がする…って…」
美優の曖昧さに不満げな伍樹。
「仕方ないもん…あたしも大きくなる途中で苦しかったんだよ…」
「とにかく、その人が作ったウィルスじゃないんだね。まあ、抗体使って直しましょう、これ以上広がる前に」
「抗体…あっ!」
美優が飛び上がって、大声を出した。
「どうしたの?」
「抗体…もうないんだよ」
「「えええええっ!?」」
二人も大声を出した。
「ごめんなさい…昨日結子ちゃんにあげようとした時、他の全部こぼしちゃったの」
「そんな、あはは…」
伍樹が下を向き、そのまま動かなくなってしまった。結子は顔を覆った。
「ごめん伍樹くん…あたしのせいで…」
「い、いや…君のせいじゃ…ないよ…うん…」
「こうなったら、もう一回その人を見つけるしかないよね」
結子が提案する。
「うん、でもどうしよう…」
「とにかく行動行動だよ!……」
「おい、どういうことだよ!!」
結子の言葉にかぶるように、大声がした。振り返ると、そこにはフードをかぶった青年が立っていた。
「あ、あの人だ!」
「えっ!?」
青年はズカズカと美優に近づいてきた。
「感染広がってるじゃねえか!!まさかお前、抗体をやる前に誰かにうつしたのか!?」
「えっと、うん」
結子が私ですと手を上げる。青年が机に両手をついてうつむく。
「やっぱり…」
「どうしたんですか?」
美優が声を掛けると、青年はキッと美優を睨んだ。
「『どうしたんですか?』じゃないだろ!校庭で漏らしてる奴がいるなって見てたら、どんどん小さくなってくじゃないか!それであっという間に…」
青年の視界に小さい伍樹が映った。青年は伍樹を指差し大声を出した。
「そうだよ!こいつみたいに小さな女の子に!!」
「あの、そのことなんですけど…」
「なんだよ」
「抗体余ってません?」
青年はハッと冷静を取り戻し、姿勢を直した。
「抗体…な。余ってるが…」
「じゃあ早くそれを!!」
うつむいたままだった伍樹がバッと起き上がり青年に言った。
「お前、元々男だよな?じゃあ無理だ」
「え、なんで…」
「なんでか知らないが、抗体を男の感染者に使うと、重大な副作用が起きて死ぬらしい」
「は…」
三人の表情が凍りつく。
「だから男に移る前に止めておきたかったんだよ!こうなったらもう、感染を止める方法はお前らを殺すしかない」
「殺すって…」
「が。俺にはそんな度胸はない」
周りが四人を見つめているのを無視して、会話は続く。
「じゃあ俺はどうなるんですか」
「…さあな。もう、俺の知ったことか」
「そんな無責任な」
「そもそもこのチビがぶつかってきたのが…!…いや…俺が悪い。すまない…一応残りの抗体を渡しておく」
青年は持っていたナップザックを机の上におろした。
「じゃあな」
そして、そのまま立ち去って行った。三人は追いかけることもせず、ただ沈黙していた。