美優の目が覚めると、外は真っ暗になっていた。蛍光灯の明かりが煌々と室内を照らしている。
「あたし、どれくらい寝てたんだろ…ん?」
足にぽよぽよと柔らかいものが触れているのに気づいてそちらを見ると、伍樹がすやすやとベッドに寄りかかって寝ていた。そのよく育った胸が、体にかけられた布団の上からあたっていたのだ。
「伍樹くん…看病してくれてたのかな…でも…」
美優は自分よりも重い体に押さえられ、動くことが出来ない。仕方なく、伍樹の肩をポンポンと叩いて起こそうとする。
「伍樹くん、伍樹くん!起きて!」
「あ…美優ちゃん…」
すぐに目を覚ます。寝ぼけた顔は女の美優でも心を動かされそうなきれいなものだ。美優は多少顔が熱くなるのを感じたが、気にとめないことにした。
「おはようございます、伍樹…」
「あれ!もうこんな暗くなったのか!?」
「伍樹くん!?」
美優の言葉に被るように伍樹が叫ぶ。そして慌て始めたのを何とか美優が抑えようとする。
「やばいって早く帰らないと補導されちまう!」
まるで経験者のようである。あるいは本当に経験済みなのかもしれない。
「あの、ちょ…」
「え!何で俺下ジャージなんだ!!まあいいか!」
自分の鞄を探しているのかあたりを見回している。振り向く度胸がブルンブルンと揺れた。
「えっと、あ…」
「何か胸が重い!ってなんだこのおっぱい!!」
胸を鷲掴みにして叫ぶ。さも女性化したのを初めて知ったかのように。
「おちついて!!」
「え…!」
美優の言葉にやっと気がついた。多少息が整っていない伍樹は、更に取り乱した。長めの髪をどうにかこうにか整えたり、シャツを入れたりしつつ、落ち着かない。
「み、美優ちゃん…!ごめん、こんなに遅くまで学校いるの久しぶりでさ、俺!わけわからないことばっかだし!」
憧れの相手の滑稽な姿を見て、思わず美優は吹き出してしまった。
「あはは!伍樹くんって、思ったより面白い人なんだね」
「えっ!?」
「いいの。じゃあ帰ろ?」
体面を保てずショックを受けてたたずむ伍樹をよそに、帰り支度を始める美優。変身で服がただの布切れになっていた美優は保健室の白衣を拝借することにした。美優の小さな体にはおあつらえ向きの、膝まで隠れるほどの長さのものだ。一つ一つボタンを締めていく。
「下がスースーするけど、仕方ないよね」
「あ、あの、美優ちゃん」
「何?」
「なんで俺の前で隠れないで着替えたの?俺男だけど」
「あっ…」
美優の中に理不尽な怒りと恥ずかしさが一気にこみ上げてきた。俯いてもそれは止まらない。
「美優ちゃん?」
下を向いた美優に尋ねてくる伍樹の声で、それは爆発した。
「伍樹くんの…」
「えっ?」
「馬鹿!!」
パシーン!!という痛みに満ちた音が部屋中に響く。
「ほげっ!」
「変態!マヌケ!」
「うぎゅ!ふにょ!」
往復ビンタを受け伍樹は床に倒れた。
「気にしてなかったのに伍樹くんがいったせいで!恥ずかしい!」
「そんな…」
「もう!さっさと帰りましょ!」
学校から出て、通勤ラッシュも峠を越えた駅前に着いても、美優は不機嫌なままだった。足早に歩く彼女の数歩後ろを、伍樹が追いかける。美優は微妙な罪悪感を感じ、居心地が悪かった。それで、今日のところはさっさと別れようとした。
「ねえ、伍樹くんはどこまでついてくるの?電車通学なんでしょ?」
「それは…」
「じゃあ、ここでお別れだよね。さよなら」
「待って!」
伍樹を背に家路を急ごうとする美優だが、肩を掴まれて振り返る。
「何?」
「あの、その、美優ちゃんのことが心配で…そんな格好で夜の道を一人は危ないよ」
美優は伍樹の可愛らしい顔の奥に親切心と、それとは別の何かを感じ取った。美優をじっと見つめる瞳に、また顔が熱くなった。
「そ、それなら…でも」
「でも?」
「正直、伍樹くんの方がよっぽど危ないよ…?」
美優はぽんっと伍樹の柔らかくシャツを押し上げている胸を叩いた。当たりどころがいいのか悪いのか、嬌声を上げる伍樹。
「あうっ!」
その声で、周りの人々の視線が一瞬美優たちの方を向いた。ほとんどはすぐに散っていったが、いくつかはしつこく残っている。
「ね、だから…はや…」
ドクンッ!!
「くぅっ!」
しかし次に嬌声を上げたのは美優の方だった。あの衝撃がまた体に走り始めていたのだ。
「美優ちゃん!?」
「何で、またっ!?」
保健室で抗体を飲み、ウィルスは駆逐していたはずだった。それなのに、またもや美優の体は変化しようとしていた。顔だけ熱かったのが、ブワッと手足の先まで広がっていく。
「あ、あつい…」
ドクンッ!
「うわぁっ!」
白衣から出ていた脚がグワッと伸び、一気に重心が高くなったせいで、バランスを崩した美優は前に手をついて倒れてしまう。その慣性の力で、というように胸に急激に脂肪がつき、白衣を限界まで引っ張って膨らむ。あまりの大きさに腕の長さを追い越し、タプンと地面についてしまう。
「ひゃっ…冷た…」
ドクンッ!
「あっ!」
その状態から体が脱したがっているかのように、腕がグイッと伸びて、美優の上体が持ち上がる。その視線の先には、何も出来ず戸惑うばかりの伍樹の姿があった。
「伍樹くん…」
ドクンッ!
「んんっ!!」
ただ伸びているだけだった手足にムチッと脂肪がつき、腕は白衣の中を満たし、外に出された脚はふっくらと膨れて、曲線を描き出す。そこで、美優は周りがパニック状態になっているのに気づいた。二人を除いて、ほぼ全員が走り回ったり叫んだりしている。警察を呼ぶ声もある。
「警察?救急車じゃなくって…?」
ドクンッ!
「えあっ!」
美優は自分の顔がグキグキと形を変え、髪が伸びて首にかかるのを感じた。それで熱は引いていき、自分の体を確認することが出来た。
「さっきみたいには、大きくなってないみたい…よかった」
「み、美優ちゃん」
「何?」
見ると、伍樹は自分のほうではなく、自分に歩み寄ってくるコツコツという靴の音の方に目を向け、固まっていた。美優が伍樹と同じ方向に向くと、そこには数人の紺の制服と帽子をまとった人々がいた。
「この人で間違いないでしょうか」
「ああ、間違いない」
その互いに話しかける人々は、どうみてもその土地の警察官だった。
「そこの学生の方、すみませんが」
「なんですか?」
警察官の一人が美優に話しかける。その目は威圧感を体現したかのような眼差しを美優に向けていた。
「任意同行をお願いします」
「え?」
「ほら、取り押さえろ!この子が幽閉対象に違いない!早く!」
社交辞令の優しい声もすぐに消えてしまった。
「や、やめて…あっ!」
弱々しくも逃げ出そうとする美優を、容赦なく二人の警察官が地面に押さえつけ、手錠を付ける。
「同行者もだ!」
「や、やめろ!」
もう二人の警察官は、伍樹を拘束した。それを確認した、最初に話しかけた警官が、今度は暴力的な口調で言葉を発した。
「やっと捕まえたぞ!街を危険にさらすウィルスどもを!」
美優はあまりの突然の出来事を理解できずにいたが、沸き起こってくる悪い予感を否定することだけはできなかった。
数分後、美優がいたのはひとつの部屋の中。2つの椅子が向かい合うように設けられ、ひとつは美優、もう一つは先ほどの警官が座っている。
「あ、あの~うわっ!」
部屋がガタンと揺れる。エンジン音も聞こえる。それは部屋ではなく、特殊な車の荷台に相当する部分だった。
「何だ」
「ちょっとこれ、蒸れるんですけど…」
美優も、着ていた白衣の上に、気密性の防護服のようなものを着せられ、顔に付けられたガスマスクの小さな窓から、警官を覗くしか無かった。しかも体が動かない。手足を固定されていたのだった。
「つべこべ言うな、これ以上ウィルス…だかなんだかを感染させないためだ。俺だってここにいたくないのに」
「じゃあここにいなければいいのに」
強気に出る美優。いつか見たドラマで、警官は容疑者であろうと被告であろうと、傷つけることは許されていないのを知っていたのだ。
「うるさいぞ!護送中は警護してなきゃいけないんだ。そうお達しが出てる」
案の定、警官は手を出してこない。
「お達し?」
「お前には知る必要のないことだ。ああもう、必要以上に刺激するなって言われてるんだから…」
最後の方は小声で美優は聞き取ることが出来なかった。それよりも気になることがあった。
「あの、伍樹くんは…」
「誰だって?あー、あの同行者の…もう一台の装甲車に乗ってるぞ。まったく、どうしてこんな大掛かりなこと…」
「そうこう…しゃ?」
装甲車とは現金を輸送するときに使われる、犯罪組織に襲撃されても多少は耐久できるように、特別に設計された車のことだ。美優にはその知識がなかったが、警官は構わず続けた。
「そうだ。お前らの身柄を引き渡すために、地下鉄の車庫に向かってるんだ」
「身柄を…引き渡す…」
美優は、逃げなければいけない、と反射的に感じ、体がなんとか動かないかとジタバタと暴れ始めた。
「おいおい、そう暴れるなって。あと1分くらいすれば着くんだから」
「1分しかないの!?」
「うむ。まあその華奢な体じゃどんなに頑張っても拘束は外れないさ」
「私の体が小さいから無理…?…じゃあ」
ガスマスクの下で美優は念じた。すると、体が熱くなり、大量の汗が出始めた。全身を激しく貫くような衝撃も、心臓の脈拍と同期して美優の中を走る。
「どうするつもりだ?」
「大きく、なる!」
美優に合わせたサイズの防護服の中で、膨らみ始める体。すぐに全身が満杯になり、伸縮性のいいゴムのお陰で体の輪郭がはっきりと現れる。プチプチと穴が開き始めると、そこから中に溜まっていた汗が吹き出し、車内に飛び出した。
「な、なんだと…!」
「ん、んんっ!!」
ついにその巨大な乳房が防護服をブチブチと破って、肌色の部分が見え始めたと思うと、防護服は引き裂かれ、ブルンッと飛び出た。
「い、いたっ…!あっ…!」
拘束具がその成長とともに破壊され、美優の体は解放されていく。胸から発した防護服の裂け目はどんどん広がり、あらわになっていく。
「んぎゅ…!」
美優は成長するだけでなく、全身が巨大化していた。周りのものがスケールダウンし、最初は背が高かった警官も今は見降ろす形になっている。
「あたっ!」
身長が急激に伸びるせいで、ガツンッと頭を打ってしまうが、それでも成長は止まることはない。ひしゃげた椅子を潰し、四つん這いになる美優で、車内が満たされていく。
「お前、どんどんでかく…!だ、誰か助けてくれ!!」
「逃がさない…!」
車外へ出ていこうとする警官を、両手で押さえる。変身する前は体を使って全力で飛びかかってもムリだったろうが、今は軽々と警官の動きを止めることが出来る。今や、部屋の半分は胸と顔と腕だけで占められ、もう半分は残りの体の部分で埋め尽くされていた。
「う…これじゃ…潰されちゃう…!」
少し残っていた空間も、美優のムチムチとした脂肪が詰まっていく。警官は手から解放された物の胸に押しつぶされそうになっていた。
「た、助けて…」
美優がどう動こうとしても車の壁も天井もびくともしない。万事休す、そう思った時車の扉が開かれた。
「な、これは!抗体の準備早く!」
美優は白衣を着た女性がいるのを見た。そして、彼女は部下らしき、これも白衣の男性に指示して、液体の入った小瓶を出させた。
「さあ、これを飲んで!」
美優は言われるがままに液体を飲み込んだ。
「んっ!ああああっ!!!」
美優の中で爆発が起こる。その爆風は汗となって美優から出て行く。開け放たれた扉から、汗の洪水が流れ落ちていくと同時に、美優は小さく、小さくなり、元の姿に戻っていく。最後にはびしょぬれになった美優と警官が二人、車内に倒れていた。
「う、うう…」
「大丈夫?さあ、研究所に行きましょう。あなたの体を治してあげるわ」
「は、はい…」
朦朧とする意識の中、美優は女性に連れられて外に出た。そこにあったのはたくさんの電車。地下鉄の車庫に、到着していたのだ。女性は、その沢山の電車のうち、窓が少なく、無骨な電車に乗り込み、美優も続いた。美優が入り口をくぐるとそれはすぐに閉められ、電車は動き出した。