人には好みというものがある。理論や道理によらない、人の性格からくる、何を良しとするかという判断基準だ。
「ついてこい新入り!男の戦いを見せてやる!」
例えばこんな怒鳴り方をして敵に正面から突っ込むのが好きな伍長、ディアン。彼にとっては戦略などという回りくどいものは好みに合わず、実力をぶつけ合うことこそが正義だ。そして、その決断を支えて余りあるほどのスタミナと筋力を持つ体を、毎日自分のスケジュールで鍛え上げている。
「死にたいのかディアン!俺の命令に従え!!」
隊長であるミアルは真逆だ。部下の命の責任を負っているのもあって、性急な突撃は言語道断と考える。軍人として体を鍛えているのは当然だが、思考トレーニングと実際の戦闘での経験から、軍隊の中でもピカイチの判断力をもっている。
「ですが隊長!このままではジリ貧です!」
「では、私が囮になります、隊長」
その二人の間に割って入るように、少しだけ華奢ではあるが背の高い男が口論をさえぎる。
「兵長、何を言っているのだ」
この男、兵長のジュードは英雄的行動が好み……ではあるが、これまで一度も許可されたことはない。ディアンの突撃は効果が認められていたが、ジュードは毎度のごとく後先考えず、自分の体を投げ出すのだ。持って生まれた顔立ちの良さのせいで、人気だけを先に考えてしまう。
「貴様が囮になっても、残り三人では突破は不可能だ。特にこの新入りがいる今はな。それに……」
そんな三人に引っ張り回される二等兵ギアズ。まだ精神も体も成熟しておらず、言われるがままに動く彼には、これと言った好みは無かった。命令系統的に、隊長の身長な戦略に従うことがほとんどだったが、ディアンの猪突猛進にも何も言わずに付いていき、ジュードが自己犠牲を主張しはじめたら普通に置いていこうとする。
という風に、戦術の好みがバラバラな4人は、小隊としてある戦争に身を投じていた。相手は、この科学が進歩した世界にあるまじき、魔術。それも、女を無条件に味方として吸収し、男を貪っていく女性の姿をした淫魔の一族、サキュバスだった。元々平和だった世界に、サキュバスが侵攻すると言うかたちで、2年ほど前に始まった戦争。あっという間に人間側が不利になり、和平交渉をしようにも、サキュバスはその使者を襲う始末。女性は一時は軍事基地に匿われたものの、襲撃があろうものなら即座に洗脳を受け、自分から飛び出して敵に下ってしまう。男性も急激に数を減らしていた。人間の敗北、いや滅亡は、もはや秒読みの段階に入っていた。
「銃弾で、あいつらの体に刻まれた紋章を撃ち抜く。そうすれば、サキュバスを行動不能にできる。それを命がけで実証してくれた隊員達のためにも、この事実を本部に持ち帰るのが俺たちの使命だ!お前一人でも犠牲にできるか!」
「し、しかし……隊長……」
そして今、小隊は、星の数ほどのサキュバスに取り囲まれていた。サキュバスが攻撃してこないのは、小隊が苦しむのを余興として楽しんでいるからだろう。幸い、食料や水は、膠着状態になった時点で1ヶ月分は残っていた。あと2週間は尽きることはないだろう。
「(早く帰りたいな……)」
ギアズは口論を続ける上官たちの前で、心の中でため息をつくばかりだった。
そして、その日も何の成果もなく日が暮れてしまい、見張りを交代で行いながら、順番に睡眠をとることになった。
それは、ギアズが見張りに付いているときに起こった。
『ギアズ……』
ギアズの頭に、彼には懐かしい声が響いた。数か月前から会っていない、母親の声だ。
「母さん……?」
『そうよ……私は、あなた達小隊の安全を願っているのです……サキュバスに負けたりしてはいけない』
「でも、母さん、俺、どうすれば……」
暫定基地として張ったテントから周りを見渡すと、ゴーストタウンと化したかつての都市の中心街の建物が建ち並んでいる。一見静まり返っている寂れた町並みだが、建物の中を双眼鏡でよく見ると、どの建物でも、魅惑的な姿をした大人の女性たちが、楽しそうにしゃべり合っている様子が伺えた。背中から生える悪魔の翼が、その女性たちがサキュバスであることを物語っていた。
「俺たちも、やられちゃうんじゃ……」
『そんなことはありません。でも、女抜きの生活を何週間も強いられている状態では、サキュバスの姿を見た途端、誘惑されてしまうかもしれません』
「たしかに……あんな綺麗なお姉さん、隊長が見たら冷静でいられなさそうだ……小さい女の子が好きなロリコン伍長や、妹さんラブな兵長だったら大丈夫だろうけど」
小隊としての行動の中で、ある程度の女の好みは聞かされていた。これも戦術と一緒で3人バラバラ。色恋沙汰を経験する前に兵隊として駆り出されたギアズだけが、これといった好みを持っていなかった。
『ギアズ、あなたが上官の方々を慰めてあげるのです』
「え?」
《キィィィン……》
その母親の一言と同時に耳鳴りがし、さらに体が熱くなるのを感じるギアズ。そして、体の至る所にこれまで感じたことのないような痛みが走る。
「お、俺、どうなって……っ……声、がぁっ」
声変わりしたてのギアズの声のトーンが急に上がっていく。戦闘服を急いで脱いでみると、兵士として鍛え上げていた筋肉が萎縮していくところだった。かなり日焼けしていた肌からは色素が抜けていき、透き通るような白に変色していく。
「母さん、俺に、なにをっ」
『今は私の力が足りません。ですから、小さい子にしかできませんが……女の子としてまずは伍長様を……』
「えぇっ!?うっぐぅっ!!!」
その途端、股間を思い切り蹴られたような痛みが走る。ギアズは気絶しそうになりながらも、股に手を当てる。
「なくなってる……う、嘘、だ……」
男の象徴が、忽然と消えていた。いつの間にか戦闘服は丈が合わなくなり、ぶかぶかになっている。視界に髪の毛がかかり、頭を触ってみると、短めに切っていた髪が肩まで伸びていた。
「新入り……そろそろ交代時間だ、しっかり休め……って誰だ貴様!!」
変身が終わるとほぼ時を同じくして、ディアン伍長が見張り場に出てきた。見慣れない幼女にピストルを向けて警戒するとともに、ストライクゾーンど真ん中のその姿に、鼻の下が伸び切ってしまった。
「ご、伍長、ギアズ、です」
「新入りか!貴様さてはサキュバスに……というわけでもないのか……?」
目を丸くするディアンは、サキュバスの特徴である頭のツノと、背中の翼が、目の前の幼女には生えていないことを見て、ピストルを下げた。なぜか、どことなく嬉しそうである。
「伍長、俺、どうしたら良いんでしょうか……」
「そ、そのだな……『おとうさん』と呼んでくれないか」
一瞬、思考が停止した、気がした。この上官は何を言っているんだ。が、いつも人の言いなりになるギアズは、今回も言われたとおりにした。
「お、おとーさん……?」
「うっひょお!!」
初めて会ったときから一度も見たことのない満面の笑み。母親が言っていた『慰める』というのはこういうことだろう、とギアズは感じた。
「よし、こうなったのも俺の作戦への神様からの報酬だろう!よし、ギアズ、たかいたかーい!」
ディアンは小さくなったギアズの腰を両手で持ち上げる。周りをサキュバスに囲まれている状況で、こんなことをすれば、高い、高い!ではなく他界、他界!となるのをすっかり忘れてしまっているようだ。しかしギアズも、頭の中に響いた母親の声に応えようと、幼女を演じることにした。
「わーい!たーのしー!」
久しぶりに聞いた幼女の笑い声にディアンはさらに興奮する。
「そうかそうか、お父さん、もっとがんばっちゃうぞー!」
大声を出すディアンだが、近くのテントで寝ている隊長と兵長は起きてくる様子はない。ギアズは気持ち悪いほどに上機嫌のディアンに、そして小さすぎ、華奢過ぎる自分の体に、困惑を覚えざるを得ない。
「えへへ、もっともっとー!(俺って、男、だよなぁ……?)」
「そ、そろそろやめないといかん……が、もうちょっとだけ……!」
幼女を無意識に演じる自分の発言と、思考が摩擦を起こす。しかし、元から弱い彼の意志は周りの流れに打ち勝つことはできず、抵抗しつつも流され行くままだ。そのうちに、別の違和感が沸き起こってきた。
「(なんか、伍長の笑顔から……というか手から、何か伝わってきてる……?)」
とんでもなく興奮しているディアンから、ギアズの体に、熱の塊のようなものが伝わってきていた。それを溜め込むギアズの全身が次第に熱くなっていく。
「おとーさん、何か変だよぉ……!」
「ぎ、ギアズ……?」
なぜか幼女口調のままのギアズ。そのせいで再度テンションが上ったのか、熱の量がぐわっと上がる。
「だ、だめ……」
「お、おい、だいじょうぶか!!!――」
ギアズの意識は、猛烈な熱の中に埋もれていった。